ルカによる福音書12:31-34
「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」 (ルカ12:31)
「これらのもの」とは、少し前の29節に「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな」とありますから、食べる物や着る物のことであることがわかります。また、食べる物や着る物によって代表される生活に必要な様々な物のことでしょう。キリストは、生活に必要な物質を追い求めるのではなく、まず「神の国を求めなさい」と教えておられるのです。
それでは、「神の国を求める」とは一体どういうことなのでしょうか?私たちが礼拝でいつも祈る主の祈りの中には「御国をきたらせたまえ」という祈りがあります。この祈りが表していますように、神の国を求めるとは、終わりの日における神様の支配の完成が早く来るように祈り求めることだと解釈することができます。つまり、キリストの福音がすべての人に宣べ伝えられたのちに、キリストが最後の審判を行なって神様の支配が完成する日が早く来ますように、ということです。確かに、これは妥当な解釈です。しかし、32節にある「あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」という御言葉や、33節にある「尽きることのない富を天に積みなさい」という御言葉から考えますと、この場合の「神の国」とは単なる神様の支配というよりは、神の国の完成によって与えられる永遠の命のことを指していると解釈するのが、より的を射ていると言えるでしょう。
16世紀のジュネーブで宗教改革をしたカルヴァンという人は、天に宝を積むことについて次のように解説をしています 「この世の子らが現世の生の喜びをもたらすものの獲得に心を向けるの常とするように、信仰者らは、この生がたちまち夢のように消え失せるものであることを学んだのであるから、かれらが真実に享受したく願うものを、揺るがぬ生を生きるべき国に移さなければならない。」(渡辺信夫訳『キリスト教綱要』3篇18章6)
これはどういうことかと申しますと、クリスチャンでない一般の人々は、地上の生活の満足を追求するけれども、キリストを信じるクリスチャンは、地上の人生が夢のように消えていくことを知っているのだから、永遠に滅びることのない神の国における永遠の命を追求しなければならない、ということです。 (9月14日の説教より)