コロサイの信徒への手紙1:1-8
「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」
(ヨハネ4:35-36)
肉体を養う食べ物のことを第一に考えている弟子たちに対して、キリストは父なる神様の御心を行うことこそが、人を生かす食べ物であると教えられました(ヨハネ4:34)。そして、父なる神様の御心とは、ヨハネによる福音書の3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるように、人々が神様の独り子であるイエス・キリストを信じて永遠の命を受けるようにすることです。そこで、キリストは、作物の刈り入れのたとえを用いて、今こそ、その神様の御心を行う時だとおっしゃっているのです。
「刈り入れまでまだ四か月もある」とは、「今はまだ刈り入れの時ではない」ということです。これはおそらく、今は何かをするにはまだ早すぎるということを表す、聖書の時代のことわざだったのでしょう。つまり、「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか」とは、あなたがた弟子たちは人々にキリストを信じて永遠の命を受けるようにと宣べ伝えるのはまだ早すぎる、と思っているという指摘なのです。そして、救いを待っている人々を色づいて刈り入れを待っている畑にたとえて、「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」おっしゃいました。これは、人々がキリストを信じて永遠の命を受けるのを待っているということです。「既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている」とは、キリストを宣べ伝えている人はすでに神様から報酬を受けており、キリストを信じて永遠の命を受ける人々がすでに現れているということです。
つまり、今は伝道によって永遠の命を受ける人々が集められる刈り入れの日なのだ、ということです。この刈り入れは、キリストを信じる人が永遠の命の体に復活する終わりの日に完成します。しかし、永遠の命の実を結んだ人々を集めるわざはもうすでに始まっているのだ、とキリストは教えてくださったのです。なお、細かなことを言えば、ここでキリストがたとえとして用いておられる畑とは麦の畑のことでしょう。しかし、お米でも麦でも、穀物が豊かに実りそれを刈り入れるのが喜ばしい働きであることは変わりありません。キリストは弟子たちに、キリストを宣べ伝えて永遠の命の実を結ぶ人々を集めるように、と刈り入れのたとえによって弟子たちを励ましておられるのです。 (9月27日の説教より)