ルカによる福音書16:10-13
「だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。」            (ルカ16:11-12)

「不正にまみれた富」は、9節にも出てくる表現ですが、ギリシア語の原典を文字どおりに翻訳すれば「不正の富」ということになります。この「不正の富」という言葉は、1節から8節のたとえ話の文脈では、主人または管理人が不正に蓄積していた富ということになるでしょう。ただし、1節から8節のたとえ話の中で主人または管理人が不正に富を蓄積していたということは、暗示されてはいるのですが、はっきりと記されているわけではありません。そこで、研究者によっては、これは「この世の富」を全般的に指しているのだと言う人もいます。いずれにしても、11節の「不正にまみれた富」というのが、この世で人間が手にするお金や財産を指しているのは間違いありません。そして、それに対して11節では「本当に価値あるもの」が対比されています。9節で「不正にまみれた富」に対比されているのは「永遠の住まい」でありますから、11節で「不正にまみれた富」に対比されている「本当に価値あるもの」も「永遠の住まい」である天国の住まいのことでしょう。そこで11節の意味は、「この世の富を神様の御心に従って忠実に用いないような人に、神様はそれよりも価値のある天国の住まいをお与えになるだろうか?いやお与えにならないだろう」ということになります。
さらに、12節の問いかけも11節と同じ内容であると理解すべきでしょう。つまり、「他人のもの」とは「この世の富」で、「あなた方のもの」とは「永遠の住まい」を指しているのでしょう。よく考えてみると、「他人のもの」とか「あなた方のもの」というのはとても興味深い表現です。普通、私たち人間は「この世の富」が自分自身のものであると考えています。しかし、この地上の生涯を終えてこの世を去るときに、「この世の富」を持ってあの世に行くことはできません。それだけでなく、たとえこの世に生きている間であっても、「この世の富」は人生や歴史の荒波の中で価値を失ってしまいやすいものです。ですから、「この世の富」は、私たち人間にとって自分自身のものであるように見えますが、実は私たち人間がこの世で生きていくために一時的に神様からゆだねられているものに過ぎないのです。それとは対照的に、「永遠の住まい」である天国の住まいは、永遠の財産として私たち一人ひとりに与えられていて、キリストを信じるならば、まさしく「あなた方のもの」つまり自分自身のものとなるということです。このように考えますと、12節の意味は「この世で一時的に人間にゆだねられているこの世の富を神様の御心に従って忠実に用いることができなければ、人間にとって永遠の財産となる天国の住まいを神様は与えて下さるだろうか?いや与えてはくださらないだろう」ということになります。     (8月16日の説教より)