エフェソの信徒への手紙6:13-17
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 (エフェソ6:17)
ローマ帝国の兵士たちの兜は、革や布の裏地を張った鉄の帽子の上を青銅でおおったものでした。兜をかぶることによって、兵士たちは横や後ろなどの思いがけない方向から攻撃されたときに頭を守ることができました。「救い」が兜であるというたとえは、キリストの「救い」、特に永遠の命という天国の財産を与えられているという「救い」によって、思いがけないしかたで悪魔の攻撃を受けたときでも、希望を失わないでキリストを証しして行動することができるということを意味しているのでしょう。
「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」という勧めは、「剣」という攻撃のための武具がたとえとして用いられている点が興味深いです。14節から16節でたとえとして用いられた武具は、「帯」「胸当て」「履物」「盾」「兜」というように、いずれも防御のための武具でした。しかし、パウロは最後に「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」と述べて、クリスチャンが悪魔に対して反撃することができることを示唆しています。つまり、悪魔が誘惑してキリストを信じる道から逸脱させようとしても、クリスチャンは「霊の剣、すなわち神の言葉」によって反撃して、逆にキリストを証しすることができるということです。「霊の剣」とは、神様の聖霊が私たちにとって剣となってくださるということです。私たちの周りで起こるさまざまな出来事に適切に対応するためには聖霊の導きが必要です。とりわけ、悪魔の誘惑を受けているような場合には、悪魔を撃退するために聖霊の導きを祈り求めて、聖霊の導きをいただいて考え行動することが欠かせません。自分はだいじょうぶだと思い込んで自己流の考えや行動で対処すると、まんまと悪魔の誘惑に乗せられてしまうでしょう。そして、「霊の剣」が「神の言葉」と言い換えられていることからわかるように、聖霊の導きをいただくためには、「神の言葉」である聖書の御言葉にたえず耳を傾けていく必要があるのです。
私たちがクリスチャンとしての歩みをまっとうするためのカギは、日々の歩みの中で、聖霊の導きを受け、聖書の御言葉に基づいて考え行動する習慣を身に着けることです。そして、そのためには、聖書の御言葉を正しく理解し、適切に自分の生活に当てはめることが必要です。そのために、私たちは毎週の日曜日の礼拝で御言葉の解き明かしを聴き、その御言葉に基づいて生活するように努めるのです。
(5月10日の説教より)