エフェソの信徒への手紙5:6-9
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。 (エフェソ5:8)
この箇所を読むと、大切なことに気づかされます。パウロは「あなたがたは、以前には暗闇の中にいました」とか「今は主に結ばれて、光の中にいます」と述べているのではありません。そのように述べることもできたでしょう。しかし、あえて「あなたがたは、以前には暗闇でした」「今は主に結ばれて、光となっています」と述べているのです。つまり、キリストと結ばれていない存在はそれ自体が「暗闇」であり、キリストと結ばれている存在はそれ自体が「光」であるということです。そして、その「光」がこの世の人々の歩む道を照らすことができるのです。
聖書をよく読んでおられる方は、マタイによる福音書の5章14節から16節にある次のようなキリストの御言葉を思い出されるのではないでしょうか。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
このキリストの御言葉は、キリストの弟子が「世の光」であるということを教えています。しかし、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言われると、「わたしには輝かすような光はありません」と思う方がおられるかもしれません。また、「あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」と言われると、「立派な行いなんてできません!」と引いてしまう方がおられるかもしれません。しかし、本日の「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」という御言葉と結びつけて考えてみてください。そうすると、キリストと結ばれていなかったときは、自分が「暗闇」であったのに、キリストと結ばれている今は、自分が「光」となっているということを教えられます。つまり、キリストと結ばれている今の自分は、キリストと結ばれていなかったかつての自分とは、違っているということなのです。
キリストを信じることによって、人は自分でも気づかないうちに変えられていきます。そして、自分でも気づかないうちにかつての自分と違ったものにされていきます。それが聖霊による聖化の働きです。その変えられて違ったものになった部分が、この世の人々にとっては「光」になるのです。言い換えれば、キリストと結ばれた人は、自分でも気づかないうちに光を放つことのできる「光の子」として歩むようになるのです。(2月8日の説教より)