ルカによる福音書12:22-30
「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。」 (ルカ12:22-23)
本日の聖書の箇所では、なぜ食べる物や着る物のことで思い悩んではならないかという理由が三つ示されています。
その第一の理由は、命そのものの方が食べる物や着る物よりも大切だからということです。23節には「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ」とあります。これは当然のことですが、人々がしばしば忘れてしまっていることです。たとえば、体が元気なときには、肉を食べようか?魚を食べようか?何の肉にしようか?何の魚にしようか?などといろいろ考えます。また、外出するときには、どんな服を着て行こうか?どんな色でどんな模様の服にしようか?などといろいろ考えます。しかし、いったん病気になりますと、食欲もなくなり、外出することも難しくなります。食べる物はとにかく消化がよくて栄養があれば何でもよくなります。病気で寝ているときは、着る物は寝間着かパジャマしかありません。病気で食欲のない人のところに手の込んだ高価な食べ物を持って行っても、病人はそれをおいしく味わうことができません。また、最新流行のファッションを届けたとしても、ベッドに横になっている人がそれを着てどこかに行くことはできません。
病気になって初めて健康のありがたさがわかる、と人は言います。確かに、私たちは元気なときには体や命のことで神様に感謝することを忘れがちです。そして、もっとおいしい物を食べたいとか、もっと素敵な物を着たいとか、そういう思いを抱きがちです。しかし、考えてみますと、そのような思いを抱くよりも前に、自分に命が与えられて生かされているということを感謝するべきではないでしょうか。食べる物や着る物を楽しむことができるのは、言うまでもなく命があるからです。重い病気をして病院に入院していた人が、退院して病院の外に出て、太陽の光を浴びて新鮮な空気を吸い、生かされている喜びを味わった時のことを想像してみましょう。その時には、家で白いご飯におつけものと味噌汁だけの食事をしても、どんなにかおいしく感じることでしょう。また、何の飾りもない白いシャツを着て外を歩いても、どんなに快適に感じることでしょう。生かされているという感謝こそ、食べる物をおいしくし、着る物を快適にするのです。ですから、私たちは神様に生かされているという感謝を毎日の生活の中心に置くようにしたいと思います。 (9月7日の説教より)