使徒言行録9:1-19
すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。(使徒9:18)
ここでは、サウロ(すなわちパウロ)が復活のキリストと出会う前のように目が見え、食べたり飲んだりできる普通の健康状態に戻ったということが述べられています。しかし、ただ元に戻ったというのではなく、キリストを信じて宣べ伝える新しい人として復活したということです。すなわち、復活のキリストと出会うことによって古い自我が死んだサウロが、キリストの命によって新しい人格として復活したということなのです。ですから、いやされたサウロが洗礼を受けてクリスチャンとなったというのは全く当然のことでありました。キリストの名によって洗礼を受けるということは、キリストと一体の者となりキリストの死と復活にあずかる、すなわちキリストと共に死にキリストと共に生きる者となるということだからです。
パウロの回心の出来事を見てまいりますと、キリストに出会って生き方が変わるということは、ただ単に表面的な生活の仕方や言葉づかいが変わるということではなく、心の中の深いところから人格が変えられるということであるのがわかります。そして、そのような内面の変化は神様との関係の変化から生じます。すなわち、神様との間に正しい関係が形づくられて、神様から新しい使命を与えられそれを受け止めたときに、私たちの存在の内部から変化が生じるのです。それまでは自分のために生きていたのが、神様から与えられた使命のために生きるようになるということです。
ですから、新しく生きるためには、新たに神様からの使命を受け止めていくということが必要です。しかも、その人でなければできない使命を受け止めていかねばなりません。もちろん、その人でなければできない使命とは何かが明らかになるまでに、時間がかかることもあります。しかし、神様と隣人との関わりの中で誠実に自分の使命を追い求めていくときに、その答えは必ず与えられると言ってよいでしょう。ダマスコのクリスチャンであるアナニアの助けによって新たな使命を知らされ、洗礼を受けたサウロは、根本的に変えられて、イエス・キリストを宣べ伝える人となったのでありました。 (11月6日の説教より)