2月12日の説教は、「最後の審判」についてでした。信仰に欠かせないこのテーマについて、継続して学んでいるテサロニケの信徒への第二の手紙のうち一章8-10節、
(二テサロニケ1:10)かの日、主が来られるとき、主は御自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。それは、あなたがたがわたしたちのもたらした証しを信じたからです。
の箇所を主にしつつ、ほかに
(イザヤ66:15)見よ、主は火と共に来られる。主の戦車はつむじ風のように来る。怒りと共に憤りを/叱咤と共に火と炎を送られる。
(マタイ25:41)『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
(二コリント05:10)なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。
(ダニエル12:02)多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入りある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
のように、聖書のさまざまな引用も交えながら、深い説き明かしがなされました。
最後の審判(2017年2月12日)では、その抄録を公開しています。