志木北伝道所の初代牧師として、長年ご奉仕してくださいました
平田正夫牧師が、2000年春、天に召されました。
ここに、平田牧師の記念として、その人となり、お言葉を記します。
説教壇にたつ平田牧師
略歴
1908年 広島県佐伯郡大柿町大君(能美島)に生まれる。
1934年 明治学院英文科人学。1938年 日本神学校本科人学。
1940年 サン・フランシスコ神学校へ入学。コーテツ長老教会説教応援。
1941年12月8日 日米開戦。
1942年 サン・フランシスコ中会にて教師按手札を受ける。コーテツ長老教会牧師就任。収容所に入る。
1943年 プリンストン神学校に人学。
1945年 敗戦。コーテツ長老教会牧師に再び就任。
1947年 シアトル日本人長老教会牧師就任。
1949年 8月16日 青戸恵子と結婚。1女2男を与えられる。
1949-1990年 浦和教会牧師。
1974-1996年 志木北伝道所牧師。
2000年4月19日 浦和市別所の自宅にて召天。
恵子夫人と
「路傍の石は叫ぶ」より
地上の神の子
生まれるとすぐヘロデ大王に生命を狙われ、
外国に逃れた。
ナザレに帰っても、
家を支え、労働した。
盲人の目を開き、
パン五つと魚二匹で五〇〇〇人を養い、
荒れた湖を静め、
死んだラザロを復活させ、
自分の生涯を民衆に献げ切った。
この方が祭司長たちによって
死刑にされた。
しかも、十字架の処刑だ。
多くの病人を癒し
貧しい者の友となった
愛の人が死刑にされた。
人間とその世界の罪の深さが露(あらわ)にされた。
この方は生身に釘付けられ、
その苦しみの中から叫んだ。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。
キリストは、心から神に反抗する人間の罪の贖いのため
自ら進んで十字架上の死を願っていたのでした。
私のため、あなたのため、
人類のため、
宇宙全体のため、
自らの完全な生命を献げて
償ってくださった。
そのゆえに、我々の罪は
完全に帳消しにされたのである。
そして復活された。
このような聖なる愛が
キリストによって示された。
我々が住んでいる
この世界で、
この歴史の中で。
※「路傍の石は叫ぶ」は、平田牧師の説教・論説・自伝を集めたものです。