コリントの信徒への手紙二10:15-18

「誇る者は主を誇れ。」自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。

(二コリント10:17-18)

「誇る者は主を誇れ」とは、旧約聖書のエレミヤ書9章23節を少し言葉を変えて引用したものです。同じ引用は、コリントの信徒への手紙一の1章31節にも出てきます。そこでは、人間の知恵を誇るのではなく十字架につけられたキリストを誇りとしなさい、という文脈で引用されています。今日の箇所では、パウロに異邦人伝道という使命を与えてその使命を果たさせてくださったキリストを誇る、という文脈で引用されています。そのことがよくわかる別の箇所を一つ読んでみたいと思います。コリントの信徒への手紙一の15章10節です。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」

キリスト教会を迫害するユダヤ教の教師からキリスト教の伝道者となったパウロは、だれよりも熱心に多く伝道の働きをしました。しかし、自分の働きを誇って、自分で自分を推薦するようなことは言いません。むしろ、「働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」と謙遜に言って、神様を誇りとするのです。パウロが自分で自分を推薦するようなことをしないのは、神様が自分と共に働いてくださったという事実があるからです。すなわち、世俗的なコリントの町にキリストを信じる人たちが現れ、キリスト教会が設立されたという事実が、父なる神様と神の御子キリストからのパウロを推薦する推薦状になっているのです。

神様はそれぞれの人にその人にふさわしい使命を与えてくださいます。そして、その使命を果たす力をも与えてくださいます。神様が使命を与え力も与えてくださるのですから、それは、神様がその人を通して働いておられるということです。そのようにして、神様と共に生きることのできる人は幸いです。パウロのように、キリストを信じて神様と共に生きる人生を歩む人になりたいと思います。

(7月3日の説教より)