コリントの信徒への手紙二6:16-7:1

「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。だから、あの者どもの中から出て行き、遠ざかるように』と主は仰せになる。」   (二コリント6:16-17)

生きておられる神様が私たちの中に宿ってくださるということを、パウロは16節の後半から18節にかけて旧約聖書のさまざまな箇所を組み合わせて引用することによって示しています。まず、16節後半には「わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」とあります。これは、ギリシア語版の旧約聖書のレビ記26章11節と12節からの引用です。日本語の旧約聖書でレビ記26章11節と12節を見てみますと、次のように記されています。「わたしはあなたたちのただ中にわたしの住まいを置き、あなたたちを退けることはない。わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。」これは、約束の地を目指して荒れ野の旅をするイスラエルの人々が、神様の戒めを守って偶像礼拝をしないならば、神様は「幕屋」という移動式の聖所においてイスラエルの人々と共にいてくださるという約束の言葉です。レビ記の「あなたたち」とは旧約聖書のイスラエルの人々を指していますが、引用された文ではそれが「彼ら」に変えられています。そして、「あなたたちを退けることはない」という文が省略されています。

パウロが「あなたたち」を「彼ら」に変えたのは、旧約聖書の他の箇所では同じ内容が「彼ら」という言葉で言い表されているからです。すなわち、エゼキエル書37章27節には次のように記されています。「わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」このように、パウロがレビ記とエゼキエル書を組み合わせて引用したのには、深い意味があるように思われます。エゼキエル書37章は、神様の戒めを守らなかったために滅びたイスラエルの人々に対する回復と救いの預言です。すなわち、偶像礼拝をしたためにイスラエルの王国は北と南の二つの国に分裂して滅びてしまいました。その滅びた国の人々の回復と救いを、神様は「わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」とおっしゃって、無条件で約束しておられるのです。神様の戒めを守らず滅びた人々に対しても神様は共にいてくださる、という無条件の約束を示すことによって、パウロはコリント教会の信徒たちに与えられたキリストの無条件の恵みを示しているのです。

(1月9日の説教より)