ルカによる福音書7:1-10

「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」            (ルカ7:7)

私たちが用いている新共同訳聖書の「一言おっしゃってください」という翻訳は、残念ながら原典のニュアンスを十分に伝えてはいないように思われます。2018年に日本聖書協会から出版された新しい翻訳の聖書では、この箇所が「ただ、お言葉をください」となっています。この方がはるかに格調高い翻訳です。しかし、この翻訳も完全に原典のニュアンスを伝えているとは言えないでしょう。この箇所は、新約聖書のギリシャ語の原典を直訳しますと「しかし、言葉でおっしゃってください」となります。伝統ある英語の聖書であるキング・ジェームズ・バージョンが“but say in a word”と翻訳するのは、この直訳に従っています。「言葉でおっしゃってくだされば、わざわざ来て会ってくださらなくても、私の僕はいやされます」というキリストの御言葉の力への信頼が、この短い発言には込められています。これは、キリストの御言葉は全能の父なる神様のご意志の啓示であるから、「言葉で」おっしゃってくださればその言葉どおりになる、という強い確かな信仰を表しています。

興味深いことに、百人隊長はキリストの御言葉への力強い確信の理由を、自分の日常生活の事柄から説明しています。それは、8節に記されておりますように、彼が部下の兵隊に「来い」とか「これをせよ」と言葉で命令すると、そのとおりになるという軍隊の中の出来事であります。8節の初めの「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり」というのは、百人隊長は上官である千人隊長の命令に服従しているが、自分も部下に対して命令する権威をもっているということです。彼はその権威を「来い」とか「これをせよ」というように、言葉を通して行使することができます。百人隊長は自分のように限られた権威をもっている者ですらそうなのだから、全能の父なる神様からすべての権威を与えられているキリストが、御言葉によって命じてくださるならばそのとおりになるに違いない、と信じたのでありました。彼は自分日常の経験から言葉の力というものを知っていたのであります。

(8月22日の説教より)