ルカによる福音書6:27-36

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」
(ルカ6:27)

宗教改革者のカルヴァンは「敵」や「悪者」を愛するためには「その人の悪を思わず、彼のうちにある『神の形』を読み取らねばならない」ということを教えています『キリスト教綱要』3篇7章6、渡辺信夫訳)。これは、旧約聖書の創世記1章27節に「神は御自分にかたどって人を創造された」とありますように、人間は皆、神の形に造られた存在だからです。しかし、アダムとエバが神様に逆らったために、人間の中の「神の形」は著しく壊され歪められてしまったのでした。つまり、人間は魂の中に矛盾するものをもっていて、どんな立派な人でも神様に逆らい人を憎むような傾向をもっているということです。ところが、このように壊され歪められた「神の形」は、神の独り子であるイエス・キリストを信じることによって、次第に正常な状態に回復させられていくのであります。それは、エフェソの信徒の手紙4章24節で教えられているように、クリスチャンは「神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るように」変えられていくからであります。
したがって、相手の人が自分の「敵」であり自分を「憎む者」であったとしても、その人の魂の中には、何らかの「神の形」が残っています。そして、その人の魂はイエス・キリストによって救われて本来の「神の形」に回復されていく可能性をもっています。一言でわかりやすく申しますと、自分の「敵」や自分を「憎む者」もまた、イエス・キリストによって救われるべき一人の人間であるということです。私たちは、相手がどのような悪人であったとしても、その相手がイエス・キリストによって救われる可能性をもっているということを否定することはできません。もちろん、その人が救われるかどうかは神様の御心によるのであって、救われる可能性もあれば、救われない可能性もあります。それは神様にゆだねなければならないことです。その人が救われるかどうかは神様にゆだねることを前提として「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と教えられているのであります。 (8月15日の説教より)