ルカによる福音書 14:1-6

「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」    (ルカ14:5)

聖書の時代、井戸の大きさや深さはさまざまであったことでしょう。このたとえでは、牛が落ちるというくらいですから、かなり大きな井戸であったのでしょう。また、井戸は水を汚さないためにも、石でふたをすることになっていました。ですから、子供や牛が落ちるというのは、ふたのない水の枯れた井戸ということなのでしょう。そして、仮に水があったとしても、必ずしも人間や牛が溺れ死ぬほど深くはなかったということなのでしょう。
安息日に家畜が井戸に落ちた場合の規則については、律法の専門家にも寛大な立場と厳格な立場の二種類の見解があったことが、当時の文献に記されています。寛大な立場では、家畜を井戸から引き上げてやってよいということになっていました。厳格な立場では、井戸の中に家畜の食物である草を投げ入れてやることだけが許されていました。ですから、キリストはこの寛大な立場の方を基礎にしてこのたとえを語っておられます。そして、安息日だという理由で自分の息子や牛が井戸に落ちたときに助けてやらないとすれば、それは明らかに神から委ねられた息子や牛の保護の責任を果たさないことになります。したがって、悪いことだと言わねばなりません。それと同じように、病で苦しんでいる人を安息日だからといって放置することは、キリストにとっては悪いことでありました。すなわち、キリストは大胆に律法主義という悪に挑戦なさったのでありました。
ところが、律法主義の人たちはこれに対して反論することができませんでした。キリストが「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」という質問をなさっても、彼らは黙っていましたし(4節)、井戸に落ちた息子や牛のたとえを説明された後も、彼らは何も答えることができませんでした(6節)。答えなかったというのは、彼らが全面的にキリストのおっしゃったことを正しいと認めたということではありません。敵意を内に秘めて、キリストをいかにするかということを考えていたに違いありません。 (8月16日の説教より)