聖  書  コリントの信徒への手紙一7:5-7

わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。
               (一コリント7:7)

 パウロは少し後の32節から34節にかけて次のように記しています。「思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。」
 なるほどと思います。人は独身であるということによりエネルギーや時間や収入を神様に集中して献げて生きることができますが、夫や妻がいればそれはできません。あえて乱暴な言い方をするならば、独身の人は捨て身で神様に従って生きることができますが、結婚している人は捨て身になることができません。パウロは、独身でいて神様にすべてを献げ尽くすような生活をしていた人でした。ですから「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい」と書いたのです。しかし、それが誰にでもできることではないとわかっていました。ですから、「しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います」と付け加えたのでした。
 このパウロの言葉は、とても深い意味をもつ言葉だと思います。第一に、「人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから」というのは、パウロが独身でいるのは神様から独身という賜物をいただいているからだ、ということを意味しています。それは、独身は神様によく仕えるための賜物であり、独身を保って神様に仕えるのは喜ばしいことであるということです。第二に、「人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから」というのは、パウロは独身の賜物を神様からいただいているが、人によっては独身の賜物とは違う賜物をいただいているということです。その結果、「人によって生き方が違います」ということになります。  (7月15日の説教より)