聖書 一テサロニケ 5:23-24

どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。         (一テサロニケ5:23)

 「あなたがたの霊も魂も体も」というのは興味深い言い方です。言葉の意味を考えてみますと「霊」というのは人間の神との関係における生命であり、「魂」というのは人間の内面的な人格であり、「体」というのは人間が外面的に行動したり自分を表現したりする肉体のことを指しているのかもしれません。ただし、パウロは「霊も魂も体も」と記すことによって、人間の存在が三つの部分に分けられるということを言おうとしているのではないでしょう。そうではなくて、「霊も魂も体も」という表現で人間の存在全体を指し、人間の存在全体が神の聖化の働きの対象となっていることを指しているのでしょう。

 「何一つ欠けたところのないものとして守り」というのは、やや大げさな翻訳のようにも思えます。ギリシア語原典ではホロクレーロスという言葉が用いられており、これは「全体の」とか「完全な」という意味です。口語訳聖書では、「完全に守って」と訳されていますが、その方が自然な訳のようにも思われます。また、英語の聖書の中には、形容詞としての意味をそのまま生かして“May your whole spirit, soul and body be kept”(NIV、あなたがたの、霊、魂、体全体が守られるように)と訳しているものもあります。

 いずれにしても、終わりの日に向けて私たちの存在全体を守ってくださる方は神様であるということです。確かに、私たちは自分の行いに責任を持ち、罪から遠ざかり、よき業に励むように努めねばなりません。しかし、私たちが終わりの日の最後の審判に備えることができるのは、私たち自身の力によるのではありません。神様が私たちの存在全体を霊も魂も体も、悪魔の誘惑から守ってくださり、日々清めて聖なる者としてくださることによって、私たちは終わりの日に備えることができるのです。              (1月8日の説教より)